こんにちは、佐々木真由美と申します。 神奈川県で80代の母と二人暮らしをしながら、在宅介護に日々向き合っている54歳の主婦です。 もともとは食品メーカーの事務職として働いていたのですが、数年前に父が他界し、その後は母の介護を担うために退職。 以来、家のことすべて——家事も介護も——一手に引き受ける生活が続いています。
今回のテーマは「家事の限界」。
在宅介護と聞くと、ベッドの横で寄り添ったり、お風呂やトイレの介助をしたりといった“直接的なケア”のイメージが強いかもしれません。 でも実際には、その合間にこなす膨大な“家事”こそが、介護者の心と体をじわじわと追い詰めていくのだと私は実感しています。
朝食の準備、母の服の着替え、洗濯機を回しながらトイレ誘導、掃除、買い物、そして昼食と、目の前のタスクが次々に押し寄せてきて、気づけば夕方。 「今日は何をしたか」と問われても、「ずっと何かしていた」としか答えられない日々が続きました。
そんな毎日のなかで、私は「これはもう無理かもしれない」と感じた瞬間が何度もあります。 家族のために頑張りたいという気持ちは確かにある。 でも、頑張り続けるには仕組みが必要で、それがなければ、いくら気持ちがあっても体と心がついてこなくなるのです。
この記事では、私が実際に体験した“限界のサイン”と、そこからどう家事の見直しに踏み出したのか。 そして、どんなふうに「手を抜ける場所」を見つけていったのか。 そんな“現場目線”の具体的な知恵を、同じように日々奮闘している方に向けてお届けできればと思います。
「しんどいけど、どこも手を抜けない」と思い込んでいた頃
当初の私は、「介護をしているんだから、せめて家事くらいはちゃんとやらなきゃ」という強い思い込みに縛られていました。
ごはんはできる限り手作りで、栄養バランスも考え、母が食べやすいように柔らかく調理する。洗濯は毎日欠かさず、掃除も毎朝のルーティンとして行う——そんな「きちんとした暮らし」を維持することが、自分にできる“最低限の役割”だと思っていたのです。
その背景には、母への思いやりももちろんありましたが、どこかで「他人に見られたときに恥ずかしくない生活をしていたい」というプライドや、「家事を手抜きしていると思われたくない」という見えないプレッシャーもありました。
でも、ある日。 朝から掃除・洗濯・食事の準備に追われ、やっと一息つけると思った昼時、時計を見たらすでに14時を回っていました。 簡単な食事を慌ただしく済ませ、ようやく椅子に腰をかけたその瞬間、母から「おやつある?」と声がかかったのです。
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがぷつんと切れました。 私はその場でキッチンの床に座り込み、ただ天井を見つめながら、何もする気力が湧いてこない自分を感じていました。
「もう全部が無理かもしれない」
そんな言葉が頭の中を何度も巡りました。
そしてそのとき初めて、「このままのやり方では、自分が先に壊れてしまう」と本気で感じたのです。
そこからようやく、“すべてを完璧にこなす必要はあるのか”と問い直すことができ、「家事を見直す」という選択肢が、ようやく私の中に生まれました。
あの瞬間は、私にとって“崩壊のきっかけ”ではなく、“立て直しのスタートライン”だったのかもしれません。
私が見直した“3つの手を抜ける場所”
家事を見直そうと思ったとき、まず最初にぶつかった壁は「どこから手をつければいいのか分からない」ということでした。
一口に“家事”といっても、やることは本当に多岐にわたります。 毎日の献立を考えるだけでも頭を使うし、買い物に行くにも母の体調や時間帯を考慮しなければなりません。 洗濯を回す、干す、畳む、片付ける。 掃除も「ホコリが気になったらやる」では済まされず、来客時のことまで考えてしまう——そんな日々でした。
何かひとつを減らそうとすると、代わりに「罪悪感」が増える。 「私が頑張らなければ家が回らない」という思い込みが、心のどこかにこびりついていたんだと思います。
でも、それではいずれ限界が来る。そう感じてからは、「毎日やること」と「毎日じゃなくていいこと」を切り分けて、優先順位をつけることにしました。
その中で最も効果が大きかったのが、「食事・掃除・洗濯」の3つの家事です。 どれも生活に直結していて、しかも時間も体力も使う。 だからこそ、少し工夫するだけで、驚くほど心身の負担が軽くなったのです。
以下に、私が実際に見直してよかったと実感している「3つの手を抜ける場所」について、具体的にご紹介していきます。
1. 食事:作り置き&冷凍食品に頼る日をつくる
かつての私は、毎日きちんと手作りの食事を出すことが「家事をしている証」だと思い込んでいました。 母の健康のため、家族としての責任のため、そしてなにより自分自身の“頑張っている証明”として、手を抜けない場所の筆頭が「食事」だったのです。
でも、毎食を一から手作りし続けることは、体力的にも精神的にも限界がありました。 特に母の体調が不安定だったり、自分が寝不足や不調を抱えている日などは、キッチンに立つこと自体がプレッシャーになることも。
そこで私は、「すべて手作り」から「一部だけ手作り」へと発想を変えるようにしました。 冷凍の炊き込みごはん、レトルトのお味噌汁、そして冷凍のおかずセット——最近は高齢者向けのやさしい味付けの商品も充実していて、使ってみると想像以上に助かる存在でした。
たとえば、主菜は手作りして副菜は冷凍食品にする。 味噌汁だけはその場で作って、あとはレトルトや作り置きを活用する。 そんな「ハイブリッド家事」が、自分にとって非常に心強い味方になったのです。
おかず1品だけでも冷凍食品に頼ると、心も体も軽くなる
たとえば夕方、疲れて台所に立つのもつらいという日。 そんなときに「今日はおかずの1品だけ冷凍食品にしよう」と決めるだけで、気持ちにも体力にも余裕が生まれました。 調理時間は半分以下に、洗い物も圧倒的に減って、食後の片付けにかかる時間まで短縮。 たった1品、されど1品——この“引き算の選択”が、介護と家事の両立でくたびれていた私の心を何度も救ってくれました。
「疲れたから冷凍にしよう」と自分に優しく声をかける
「今日は疲れてるから冷凍ね」と、自分にそっと声をかけてあげるだけで、心の中にあった「ちゃんと作らなきゃ」「怠けてはいけない」といった思い込みから、ふっと解放されるような感覚がありました。
それまでの私は、どこかで“きちんと食事を作れない日は、母に対して申し訳ない”と感じていて、冷凍食品に頼ることに少し罪悪感を持っていました。 でも、ある日「今日だけは冷凍にしよう」と自分に許可を出したとき、その重荷が驚くほど軽くなったのです。
母が温かいごはんを美味しそうに食べてくれる姿を見て、「作ったかどうか」よりも「一緒に笑顔で食卓に座れること」の方がずっと大切だと、ようやく気づきました。
完璧な家事ではなく、自分も笑顔でいられる日々を選ぶ。 それが、介護と家事を続けていくために私が得た一番の知恵です。
そして何より大事なのは、「冷凍食品=手抜き」ではないという意識の切り替え。 それを取り入れることで、私は“食事づくりを続けていける仕組み”を手に入れたような感覚がありました。
家事は“全部を毎日完璧にやるもの”ではなく、“続けられることを積み重ねるもの”。 自分が壊れないために、無理せず食事の形を整える——それは介護と家事を両立する人にとって、とても価値のある「工夫」だと思います。
2. 掃除:毎日やらなくていい場所は思い切って週1へ
リビングの掃除は週3、トイレは週2、母の部屋はこまめに。 ここは来客の目にも触れやすく、また母の安全面にも関わるため、こまめに対応するようにしています。
ただ、それ以外の場所——たとえば自分の部屋や玄関、物置といった“人目につかないスペース”については、「そこまで手をかけなくてもいい」と思えるようになりました。
それまでは「掃除は毎日してこそ清潔」と思い込んでいたのですが、実際に週1にペースダウンしてみると、そこまで不快にもならず、むしろ気になる部分だけを“気になったときに”掃除するほうが、自分にとっても無理がないとわかってきました。
特に玄関や廊下は、天気の悪い日などは無理にやらず、「晴れた日にまとめて」くらいの感覚でやるようにしてから、掃除が「義務」から「生活の一部」へと変わっていった気がします。
「完璧に整ってなくても、誰も怒らない」——この気づきは、私にとってとても大きなものでした。 それどころか、母自身も私の負担が減ったことで、以前より穏やかに過ごしてくれているように思います。
掃除の頻度を下げることは、手抜きではなく「生活の最適化」だと、今では自信を持って言えます。
3. 洗濯:晴れの日だけまとめて+乾燥機を導入
以前の私は、毎日必ず洗濯機を回すのが当然だと思っていました。 朝食の片付けが終わるとすぐに洗濯機を回し、干して、畳んで、片付けて。 その一連の流れが、日々のルーティンとして染みついていたのです。
でも、母の衣類や寝具類、そして自分の着替えを毎日こなすのは正直しんどい。 加えて、天気が悪い日は部屋干しになり、湿気や生乾きの臭いに気を使う必要もあって、精神的にも負担が大きくなっていました。
そこで私は思い切って、「洗濯は毎日じゃなくていい」とルールを変えました。 天気のいい日に2日分を一気に洗うようにしたことで、洗濯に費やす時間も体力もぐっと軽くなり、他の家事とのバランスも取りやすくなったのです。
さらに、乾燥機を導入したことで、雨の日の部屋干しストレスが解消されました。 部屋の空気がジメジメせず、家全体がすっきりとした印象に保てるようになり、気分的にもずいぶん違います。
また、洗濯の頻度を落とす代わりに、シーツやタオルは「週1でまとめて洗う」と決め、母の肌着やパジャマなどはあらかじめ枚数を増やしておくことで、「明日洗わなきゃ着るものがない」という“慌てる状態”をなくしました。
こうして洗濯は、「毎日のタスク」から「仕組みで整える作業」へと変化。
家事は“量をこなす”よりも“仕組みで回す”ことで、何倍もラクになる。 この洗濯の見直しを通して、私はそのことを身をもって実感しました。
「頑張らなくても回る仕組み」をつくることが、自分を守る
私が変えたのは、「やるべきこと」そのものではなく、「そのやり方」でした。
どの家事を削るか、という発想ではなく、どうすれば続けられる形にできるか——そう考えるようになってから、私の中にあった重たい義務感が少しずつほぐれていったのを覚えています。
毎日じゃなくていい。
完璧じゃなくていい。
人の目より、自分の体調が大切。
この3つの視点に立ち返るだけで、日々の負担は大きく変わりました。 「こんなこともできなかった」「今日は手を抜いてしまった」と思い悩むより、「今日も無理をしすぎなかった」と自分を認めることの方が、何倍も前向きなエネルギーになるのです。
家事と介護の両立に心が折れそうになったとき、見直すべきなのは「自分がもっと頑張れば」という考え方ではなく、“頑張らなければ回らない仕組みそのもの”です。
ほんの少し工夫を重ねるだけで、毎日の暮らしはちゃんと回り始めます。 疲れ果てる前に、自分のために「ラクを選ぶ」勇気を持ってみてください。
この記事が、今まさに孤独や疲れを感じている誰かの心に、やさしく寄り添えたなら嬉しく思います。